Cre(クリエ)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

てんぺすとあらしのちはれ

外中也でござい。

『天変斯止嵐后晴~てんぺすとあらしのちはれ~』を観に、国立文楽劇場を訪問した。たま吉くん、ちろぬくん、そしてCreのメンバーではない友人、カエル者くん。同世代の友人がこういう世界に興味を持ってくれるのは大変ありがたい。中也幸せv

文楽(ぶんらく)は、日本の人形劇で人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)とも呼ばれる。人形を三人で遣うという、世界でも珍しい様式を持っており、人形遣いが堂々と舞台に登場する。

その傍らで義太夫(ぎだゆう)と呼ばれる語り手が物語を語り、力強い太棹三味線がBGMとして物語を彩る。三つの役職が一体となって表現する舞台といえるだろう。

今回拝見した作品は、シェイクスピア最後の大作『テンペスト(あらし)』を元にした新作文楽だ。脚本・演出は山田庄一。作曲は鶴澤清治。
ガンガンネタばれしながらレビューさせて頂く。

Arashi-chirashi.jpg

筑紫大領秋実(つくしのたいりょうあきざね)、その嫡子の春太郎(はるたろう)、家臣である日田権左衛門(ひだごんざえもん)、刑部景隆(ひょうぶかげたか)らを乗せた船が本国に帰る途中で大嵐に遭い、一行は孤島へ流れつく。

その島には12年前に弟の刑部景隆に国主の地位を追われ、追放された主人公・阿蘇左衛門藤則(あそのさえもんふじのり)と娘美登里(みどり)が暮らしていた。船を襲った嵐は、12年前の復讐をするために、阿蘇が手下の妖精・英理彦(えりひこ)に命じて使った唐土に伝わる方術の力によるものだった。

孤島という絶好の場所を得、更なる出世を目論む刑部は筑紫大領と日田を殺そうする。また、島に住む化け物、泥亀丸(でかまる)は漂着した茶坊主珍才(ちゃぼうずちんさい)を味方につけ、自分をこき使う阿蘇を殺そうとする。しかし、いずれの計画も英理彦の力によって未遂に終わる。方術によって錯乱状態となりどこかへ消えてしまう男たち。

一方、筑紫大領の息子、春太郎は美登里に出会い、2人は一目で恋に落ちる。父・阿蘇は反対し、無理難題を春太郎に課す。課題をこなし春太郎と美登里は結ばれた。そんなとき窟の中に錯乱した男たちが誘われてやってくる。阿蘇が望むのは更なる復讐か、それとも……。



本作品はウィリアム=シェイクスピア最後の大作といわれる『テンペスト(あらし)』の舞台を、日本の九州地方に浮かぶ孤島に移した新作文楽である。

最初、舞台の中央に三味線方がズラリと暗がりに浮かび上がる。バックの吊り幕に描かれた波の揺らぎと、太棹三味線の緩急と強弱によって嵐を表現していた。古典文楽では音楽を天候を表現する手法として用いることはあるが、三味線方が中央に来る演出はほとんど無い。型破りだが、観客が引き込まれる魅力的なプロローグである。

続いて流刑された親娘の住む洞窟に場面が切り替わるのだが、呪文を唱える主人公が、美登里の父であること以外は何もわからない。原作ではここで主人公の素性が明かされる。本公演ではそれを隠し、「なぜ、船を難破させる必要があったのか」と疑問を提示することで、観客に展開を期待させる趣向が成されていた。上手い、と舌を巻くばかりである。

文楽は役者ではなく、人形を用いることで配役にのめりこめるため、心象心理を深く抉り出すことに長けた演劇といえる。今回はその部分よりも「人形を用いてどれだけの表現ができるのか」に重きを置いているように感じた。人形のデザインにそれが見て取れる。目を引くのがもともと島の主であった泥亀丸だ。かえるのように潰れた頭、毛むくじゃらで腕が長く、人間では表現しきれない姿をしている。人形であるからこそのおかしみがよく表れていた。

物語のテンポの良さで魅せるため、ライトに何色ものカラーフィルターを用いたり、普段は使われないシンバルなど西洋の楽器の音色を効果音としていた。大変賑やかである。やはり型破りだが、妖精や方術が登場する世界観を引き立てていた。

また、シェイクスピアの作品というと、ハムレット、リア王など悲劇的な印象がある。本作にも「復讐」がからんでいるのだが、ちょっと妙ではあった。12年間の流刑でうらみ続けた相手を、一緒に命の恩人がいたという理由と恋に落ちた若い二人の姿があったことで主人公・阿蘇は簡単に許し和解する。

そう簡単に心変わりするだろうか。

むしろ、この物語が始まる前、台本に書かれない行間の部分で阿蘇はすでに恨みの心を捨てていたのではないかと感じた。復讐する相手への仕打ちも、歩き疲れて腹の減ったところへ、沢山の食物を見せ、それを怪物がかすめとっていくというもの。恐ろしいようで子供のいたずらのようなところがある。自分自身が許せても、相手の心が変わらねば意味が無い。相手が主人公を島流しにしたことを悔い改めるきっかけを作ったのではないか。

そのように考えれば、春太郎と美登里が出会うのを仕組んだり、あっという間に二人の仲を認める様子にも合点がいく。復讐の中に無上の人間愛を感じる作品だった。

外中也

スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

てんぺーすと

私は、阿蘇は元々恨んでなかったんじゃないかな、と思う。
悲しい、仕方ない、と諦めつつも、娘のためにはなんとかしなくちゃ、と思ったのかなあ、と。
舞台にない部分だから、色々考えさせられます。
文楽とハムレット、異色の組み合わせだったけど、ここまで違和感なく見られるとは思いませんでした。動きがけっこう大胆で、細かい仕草とか心の移り変わりがあまり見られなかったのは残念だけど、おもしろかったです。

ちろぬ | URL | 2009-08-12 (Wed) 16:40 [編集 ]


大胆な動き

確かに大胆な動きが多い演目でしたな。
登場人物のモチベーションの高さを考えるとしっとりとした遣いは合わない気がするし、あれはあれで美しかった。
またお時間取れそうなら今度は古典作品を見に行きましょう(^.^)

はずれ | URL | 2009-08-16 (Sun) 17:44 [編集 ]


 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。